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8845を作る人達/人生の流れに逆らったのは、独立の覚悟を決めた一度だけ。 | Atelier 8845 WEBMAGAZINE | 8845story

8845を作る人達

人生の流れに逆らったのは、独立の覚悟を決めた一度だけ。

人生の流れに逆らったのは、独立の覚悟を決めた一度だけ。

アトリエ8845 職人 藤原 久雄さん

川の流れに転がされる小石のように、その身を任せてコロンコロン。
流れに逆らわず転がりながら生きてきたから、角が取れたのかなぁ。

 


 

ーーーいわゆる一般的なベテラン職人像とは少し違う、温厚な笑顔と柔らかい物腰が印象的な藤原さん。バッグ職人の道に入られたきっかけを教えてください。

 

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もう53年前になる17歳の頃、徳島から大阪へ出てきました。僕に知らせる前に、親と兄貴で相談して決めてたみたい。寝耳に水だったけど、学校を辞めて就職することになった。だから自分でバッグ職人を目指して「こうなりたい」と選んで決めたのと違って、流れに逆らわず動いてきただけ。川の中の小石が水流に押されてコロンコロンと転がるようにね(笑)小さい時から「これはイヤだ」と自分を押し通す、とんがった性格でもないし、自分を曲げられへんからと喧嘩するなんてもってのほか。争いごとも苦手やから「こうだ!」と決められても腹が立たんのよ。だから「あぁ、そういう流れか」と、どんな時も身を任せる感じ。

 

就職の時も、先に大阪で勤めていた10歳上の兄貴から「就職先が決まった」と連絡が来たの。その時に決めてきてくれた就職先がバッグを製造する会社やったんよ。まぁ会社って言うても自宅の1〜2部屋を作業場にした小さな所。そこに住み込みでお世話になりながら職人修行のようなお手伝いを始めたのがこの道に入ったきっかけかな。

 

ーーー職人を目指すどころか、大阪に来たことも藤原さんが志願したわけじゃないんですか…。そういうのに不満も不安もなかったのですか?それに、住み込みって過酷そうです…。

 

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うん、そう。志とかは無かったよ(笑)でも不満も不安も特になかったね。住み込み修行って聞くと親方が怖くて、厳しくて、つらい。そんなイメージがあるでしょう?でも全然、逆。住み込みで働かせてもらった先の親方は15歳しか離れてなかったからか、すごく可愛がってもらったよ。それに親方のお母さんが古風な人で、男をたてる方だったのもありがたかったね。使用者と使用人という関係じゃなく、 普通の家に家族として加わって、家族として一緒に暮らしていた感じ。食卓も一緒。すごくアットホームな環境だったよ。僕が同居した年に、親方の下の子が生まれたこともあって、子供たちともよく遊んだり話したりしたね。修行時代のつらい話のほうが物語としては良いかもしれないけど、どう思い出しても特に苦しかったという記憶がないね(笑)

 

ーーー就職先のご家族の温かさに、藤原さんの持ち味である自然体の部分が合わさって、さらにアットホームさが増したんでしょうね。では、勤務時間や作業内容はどうだったのですか?

 

朝 9時~23時まで働いていたかな。特段楽しいこともないが、特に長く感じたり苦しかったという記憶もないね。親方も独立して4〜5年の時期だったので、ともに努力する仲間として可愛がってもらったような気がします。作業場は2部屋ほどの狭いスペース。そこでバッグを作ってました。その頃は合皮やナイロン製が多かったけど、時代とともに本革が増えた時期もあったかな。それぞれのメーカーが使用する素材に合わせて作ってたけど、上等なもんばっかりとちゃうかったよ(笑)

 

ーーープライベートもお仕事も同じ屋根の下だといつも一緒だということですよね。距離感が近いあまり、苦労したり険悪な雰囲気になったりはなかったのですか?

 

そうね。朝起きて、夜寝るまで、ほぼ一緒にいたけど揉めたことは一度もないよ。だって小さい時から僕はケンカが苦手。弱い方やから(笑)それに腹が立つこともなかったし。良い悪いは置いといて、自己分析をすると「なんとかなるさ」と流れに任せていく方じゃないかな。自分の意志や思い込みでの「こうあるべきが正解だ」というのがないので、そもそもストレスを感じないんだろうな(笑)技術を学ぶための修行だったのに、あまりに居心地が良かったので 7~8年一緒に過ごしたね。逆に親方に「いつまでおるねん!」と笑われたのが記憶に残ってるよ。

 

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ーーーでは、約8年間の修行の後、次の就職はどうされたんですか?

 

兄貴が商売をしていたのでそちらへ転職しました。そこでの仕事はバッグを「作る」ことではなく「売る」こと。ここでも流れに身を任せて約一年は頑張ってみたものの、何かちゃうのよ。自分の仕事っちゅう感じがせんのよね。それまでの人生の流れに逆らうことはなかったけど、この時だけは「何か違うな」と。この経験が、自分には職人が自分の天職だと感じさせてくれたと言えば格好ええけど、職人しかでけへんと実感したという感じ(笑) 兄の会社を一年程で辞めた後、結婚と時を同じくして職人として独立を決意。鞄職人として、もっと腕を磨こうと覚悟を決めたんよ。自分の意志で動くというのは責任が生じるけれど、あの時だけは自分の意志を通して流れを変える決断をして正解だったね。

 

ーーー奥様さんの存在も最強の心の支えですね。それまで流れに任せてきた藤原さんも「この人だけは離さんぞ!」と、人生最大の決意を伝えて生涯の伴侶を得たんですね(笑)

 

いやいや(照) 家族にごはんを食べさせにゃいかんからね。二人分の生活費を稼がないとあかんやんか。だから自分に向いてる仕事を確信したからには、一生懸命やろうと思っただけよ。とはいえ、嫁さんも一緒に手伝ってくれたことは、ほんまに感謝やね。メーカーから委託されてバッグの加工事業を営んできたけど、よう長いこと一緒に働いてもらった。考えたらたくさん支えてもろてきてるね。

 

ーーーそこからどのような経緯でアトリエ8845の職人として勤務されることになったのですか?

 

もともと下請けの仕事をいただいてたご縁があって、その頃バッグ修理も自宅でできる程度だけお手伝いしていたんです。そうしているうちに、本格的に修理・リメイクの事業部、アトリエ8845の立ち上げが決まって「うちに来てくれへんか?」と副社長(当時の責任者)から声がかかったんですわ。長年やってきた自分の工場を閉めることになるのに、ここでも流れにまかせて「はい、わかりました」と。実は嫁さんへは事後報告で「自分の工場を辞めて外に働きにでる」と伝えたんです。長いこと二人三脚でやってきたのにいきなり生活が変わって、しばらく嫁さんは寂しかったかもしれんね。

 

ーーー事後報告で反対しない奥様は器が広いですし、内助の功を極めていますね。では、アトリエ8845へ移ってからの主な仕事内容を聞かせてください。あと、いい仕事をするために心がけていることはありますか?

 

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作業的には主にバッグの 修理、リフォーム、オーダー。特に修理は「やり直しがきかない作業」だから、毎回自信を持ってお返しできる合格点に仕上げるために必死よ。職人は直接お客様と会うことは少ないけど、「お客様が喜んでいたよ」と聞くと嬉しいもんだよね。安心するとともに喜びが込み上げてくるよ。
いい仕事をするために心がけていることは、シンプルなことやけど健康でいることかな。意識して健康づくりをするタイプではないから、趣味の登山を嫁さんとぼちぼち続けながら、一年でも長く仕事ができるように頑張るよ(笑)

 

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** わたしの相棒道具 **

 

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皮を裁断する際に使用する、替え刃式の包丁。最近は替え刃タイプをメインで愛用している。現在の作業の相棒は、いま取り掛かっている「錠前の取り替え」では、幅と高さを絶妙に合わせるため電動ドリルが作業の相棒。

 

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【藤原さんプロフィール】

ひょんな事から、十代後半より住み込みでバッグ職人になりました。かれこれ53年職人をしております。
修業は厳しい6年間でしたが、優しく家族同様に過ごさせて頂いたので、バッグつくりにもあたたかい思いやりの感じられるもの作りを心がけています。

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~想いをカタチに~

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