苦難のスタート、困難な道のりの先に、 職人としての幸せを見つけたんや。
アトリエ8845 職人 竹田 勇さん
ーーー竹田さんはどんなきっかけで職人を目指されたのですか?
「運命に流されて」という感じやな。中学卒業後の就職先も決まって、「さぁ、働くぞ」という矢先に就職先の会社が潰れてもうたんですわ。内定をもらっていた5人が、皆「どないしよう…」と途方にくれていたときに、「誰か働ける人間いてへんか?」と声がかかって大阪へ。
その会社は、足袋の底生地を合わせて縫う仕事やったんやけど、一年ちょっと働いた頃に親から「手に職をつけろ」と言われて、親戚がやっていたハンドバッグ製造メーカーに転職。それが、この業界に入ったきっかけやな。
ーーー流れのままにたどり着いたバッグメーカーで、職人としての人生が始まるわけですね。
バッグメーカーに入社して、まず与えられた仕事は糊付け作業。その当時のゴム糊の匂いは強烈でね、2日後にはその匂いでぶっ倒れましたわ。横で誰かがタバコを吸うたら、ボッと火がつくくらい揮発性が高くて、それはそれは強烈な匂いやったよ。頭がふーっとなってバタンと倒れて、意識が回復して「もう辞めたい」って言うても辞めさせてもらわれへん…。めちゃくちゃ忙しかったし、過酷やったなぁ。
勤務時間は、毎日朝の8時〜夜中の2時まで。休みは月2回。最初の一年は、給料が月2000円。500円で作業ズボンを買って、500円を家に仕送りして、残りの1000円が一ヶ月の生活費やで。いくら物価が安い時代や言うても、さすがに厳しいがな。銭湯が15円、映画が80円。それが日々の楽しみで、自分にとっての息抜きの時間やった。勤めてからもしばらくは金がなくて着るものも買われへんし、田舎で着ていた学生服を着て遊びに行ってたわ。そんな格好やから目立つやろ。そりゃ、よう大阪の人間にからまれたで。言うても素人には負けたことないねん、喧嘩(笑)
せやけど俺の手は喧嘩するためじゃなく、バッグを作るための手や、ケガしたらあかんと思うて、クチ喧嘩で相手を負かしとったわ(笑)
ーーーめちゃくちゃヤンチャだったんですね、お名前の通り、まさに勇ましい(笑) では、職人としての仕事で面白さを感じたことを教えてください。
バッグデザイナーという職種は今でこそ一般的やけど、わしが40歳頃まではあんまりいてなかったんよ。その当時は職人がデザインを考えて、自分で作って、メーカーに「これどうですか?」と提案してた時代。カッコよくいえば、デザイナー兼クラフトマンですわ(笑)
インターネットも無い時代やし、デザインのアイデアを探しによく駅に行ってたなぁ。缶ジュースとタバコを手に、人に迷惑がかからない場所に長いこと座って、駅からでてくる女性のハンドバッグをずっと見てんねん。そこでアイデアの種を拾って、自分流のデザインを付け足して提案してたわ。いま考えたらその時はめっちゃ面白かったなぁ。
ーーーアトリエ8845の職人になったのはいつ頃なんですか?
親戚のバッグメーカーから22歳の時に独立して、そこから40年以上自分で会社やってたんよ。けど、長年の取り引きメーカーが事業をたたむことになってもうて。これは新しい取引先を探さな「御飯が食べれなくなるぞ!」と行動を起こして、今の勤務につながる『株式会社 林吾』と縁がつながった。初めて副社長と会って交渉した時に、「よっしゃわかった」と即決や。クラフトマンでよかったと思った瞬間やね。あと「手に職をつけておけ」と言うてくれた親に、ほんまに感謝ですわ。それからの繋がりやけど、2年間は取り引き先としての付き合いで仕事をもらってたんよ。その後、社員として株式会社 林吾に入社して…。ん?なんぼや?あぁ、もう10年たったわ。最初はハンドバッグを1から作る業務で、7年前からアトリエ8845でリメイクやオーダーに携わるようになったんよ。
ーーーなんだか波乱万丈ですね。でも「またか、またか」と紆余曲折があっても、職人としての実績が身を助けてくれてますね。
ほんまやね。いま思えば手に職をつけるために、ハンドバッグの職人になったのが人生の分岐点。生きるために歩き始めた職人の道。身に備わるまで、教わった仕事は「一回で覚えたる!」と必死のパッチやったで。最初は怪我もようしたけど、商品を傷めたり失敗したりするよりはマシ。同じミスは繰り返さへんように、痛みを身に覚えさせた言うたら格好ええかな(笑) あと、「絶対に妥協はせえへん」っていうのは身についてる。これは自慢やな。
アトリエの仕事は一点ものが相手やし、毎回妥協なき真剣勝負や!要望に忠実に応えて、それ以上の満足を足してお返しする。そのために絶対に負けられへん。喧嘩はじきに勝負がつくけど、リメイクやオーダーは何時間も何日間も緊張しながら勝負してますわ(笑)
ーーー職人として日頃から何か気をつけていること、取り組まれていることはありますか?
難しい作業をするときは、イメージを明確にするために1日考えてから作業にかかることやな。フィニッシュしたときに「やっぱりこれで良かった」って思える取り組み方で仕事をしたいし、段取りをしっかり考えておくことで時間の無駄を省けるから。それと自分の仕事にプライドを持つためにも「常に真摯な気持ちで勤める」いうことやな。毎日6時半に出社して、7時までは体操して体のエンジンをかける。始業時間の2時間前やけど、朝の清々しい空気感と静寂の中で作業を始めるんよ。職人としていい仕事をするための、自分なりのルーティンや。
この年になっても雇ってもうてる感謝もあるし、託してくれるお客さんもいてる。職人歴が長いからといって、のんきにあぐらをかいていてはアカンし、若い人のほうが自分より上手な場合は素直に頼む。『お客さんの喜びのために』という目指すところは同じやし、よりええ感じに仕上げられる腕にまかせるのは当たり前のことやからな。
ーーー「超」がつくほどのベテラン職人なのに、素晴らしいお考えですね。では最後に、職人として嬉しかったことを教えてください。
お客さんと直接会う機会はないんやけど、感謝のおハガキを頂くことがあるんよ。そういうのを読ませてもらうと、ほんまに胸がいっぱいになる。他にも「綺麗にしてもらってありがとう」と、涙を流して喜んでもらったこともあるで。職人の値打ちを感じてくれたようで、「ありがたくて、嬉しいなぁ」言うて、工房の職人みんなで喜んでんねん。お客さんと気持ちが繋がったような気もするし、やりがいを感じる瞬間やわ。
アトリエ8845の職人はみんな、お客さんの想いがこもるものは全身全霊を傾けて、これ以上ない出来で仕上げたいと思てるからね。ここでの仕事は、一点一点にすごく神経を使うけれど、長年の経験によって自分の手に備わった技術で、人様に喜んでもうてると実感できる。職人として一番幸せなことやで。ほんま、長生きはするもんでっせ(笑)
** わたしの相棒道具 **
突きノミ。革を裁断する際に使用する、職人には欠かせない道具。幅の狭いものは細かい部分用。もともとの刃の長さは同じだが、使うたびに研いで研いでどんどん短くなっていく。一緒に仕事をした時間が長いほど短くなっていくので、なんとも言えない愛着がわいてくる相棒たちだ。
名前: 竹田 勇(タケダ イサム)
勤続年数: 10年
58年職人としてのプライドを持って生きてきました。物と向き合う仕事で、多く自分から言葉を発しないので、まわりからは気難しく付き合いにくいと思われているかもしれません。
しかし、仕事においては自分の技術に信念と誇りをもって、また安易に妥協せず納得するまで仕事をやりとげてきました。これからも頑固一徹で通していくつもりです。
~想いをカタチに~
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